心と体の教科書

不安障害、更年期、ガン、緑内障の経験談。ツボや呼吸法、ストレッチなどで症状に合った対処法の情報を発信していきます。

集中治療室から病棟へ戻った日

この記事をシェアする

こんにちは♬(≧▽≦)♬

   miyu姉です(⋈◍>◡<◍)。✧

 

昨日から仕事に復活しました。

 

まだ短時間ではありますが、体は『かなりしんどかった( ˘•ω•˘ )💦』

 

一日、動いてますからね。

 

帰宅したら、ご飯、二階の洗濯、干してたたんで、食器洗って、布団しいて・・・。

 

子どもがいて、働く主婦って、本当に大変なんですよ(;´д`)トホホ。

 

休みには、子供の行事だし~(-_-;)

 

主婦の皆様、本当に毎日おつかれさまです💕

 

 

さて、前回の続きです(^^♪⇩

 

 

miyublog53id.hatenablog.com

 

ようやく、病室に戻ってきたのですが、全く目も開けられず、意識は相変わらず朦朧、首痛く、めまい、吐き気もする。

 

わずかでも、必死で目を開けた時、一瞬だけ視界に飛び込んできました。

 

『あーっ、私の荷物がある。同じ部屋なんだ、窓側、よかった・・・。』

 

そうすると、お向かいの仲良くなったおばあちゃんから、『おかえり😚』との声👂

 

看護婦さん達からも『お帰りなさい』との声👂

 

本当は笑顔で『ただいま!』

 

って言いたかったのですが、それすら出来ず、もどかしかった。

 

何時に病室に戻ったのかも分からず、ただ窓側だったので、まだ明るかったような気もしますが・・・、定かではありません。

 

一度、ベッドに横にはなったはずです。

 

そして、ベッドの上で、看護婦さん2人に体を拭いてもらうというか、結構ビショビショにされて、洗ってもらいました。

 

ベッドが濡れないような何かを敷いてだろうけど何か分からず・・・。

 

ただ、なぜ、体を看護婦さん2人に洗ってもらった記憶があるのかというと・・・。

 

恥ずかしながら・・・。

 

〈1つ目の理由〉

 

看護婦さん達が洗ってくれている時、(私はめちゃくちゃ辛い)

『あれ、生理来たみたいですね?ナプキン何処にある?』と聞かれ、

私は、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、

でも内心は、

『今!超絶に苦しいんだから、聞かないでよ!!答えられないから、ナプキン位頂戴よ!!!』

なぁんて思っていました(;´д`)トホホ💦

 

来るし紛れに、指をさして場所を知らせた記憶があります。

 

〈2つ目の理由〉

 

洗ってもらって拭いてくれるのですが・・・。

 

これも恥ずかしながら、生理のせいもありますが、サッと拭いてショーツを履かせられた(言い方が悪いな~、うまい言い方ないかなぁ~)為、物凄く気持ち悪かったのではっきり記憶には残っていました。(笑)

 

ベッドに横になる方が、その時の私にはとてもつらかったので、背もたれも無い丸椅子に座りました。

 

夜になると、5階だったので、病院周辺の店の明かりや車のライトが動いていました。

 

朦朧としていましたが、その記憶はあります。

 

なんだか落ち着くのでした。

 

グラグラ揺れながらでも、ずーーっと丸椅子に座っていました。

 

誰が、どう見てもベッドに横になった方が楽そうだし、危なくない”!!!とは思いますが、首が本当に辛かったので、無意識にでもベッドは拒絶していたようです。

 

看護婦さん達の引継ぎの時の会話が、朦朧としていても面白かったのか、記憶に残っています。

 

それは・・・。(笑)

 

『今にも椅子から落ちそうなんだけど、ずっと、うまい具合にバランスを取っていて落ちないのよ、だから大丈夫』

 

今、思うと面白い会話ヾ(≧▽≦)ノ♬

 

多分、この会話は夜中の会話なので(病室の電気が消えていた、外の夜景がはっきりしていたから。)深夜12時頃だな~。

 

また、看護婦さんが、そんな中『歯磨き』を進めてくれました。

 

すると、また、あの現象がヾ(≧▽≦)ノ☆彡

 

f:id:miyublog53id:20191210104425j:plain

 

意識がはっきりして、少し楽になるんです

 

歯を磨くって、凄い未知なる可能性があるような気がしました😊

 

また磨き終わると、麻酔のせいなのか、意識も遠くなり、目もうつろになり、グラグラ丸椅子に座っていますが・・・。😅

  

そして、私は、どのタイミングでベッドに移ったのか分からないのですが、気づくとベッドで苦しいし辛くて、何回も何回もナースコールを押し、呼んでいました。

 

そのあたりから、記憶がようやく戻り始めたのと少しづつ、要求できるようになっていたのでしょう。

 

麻酔が切れかけて痛みも出てきます。

 

夜勤の私の担当の看護婦さんには、本当に迷惑を掛けました。

 

何度呼んだことか・・・。

 

看護婦さんが出て行って、すぐ呼んだりを繰り返す。

 

その位辛かった・・・たまに考えてはいけないと分かりつつ、『死んだ方が楽』とも頭の中をよぎりました。

 

知らないうちに、外は明るくなっていて、気が付けば、ベッドの周りが物凄く散乱していました。

 

いろいろなものを持ってきては対応してくれた、夜勤の看護婦さん。

 

全く、嫌な顔をせずに、何度も何度もきてくれた。

 

本当に『天使の白衣』

 

感謝でしかありません。

 

でも、意識が戻ったころには、日勤の看護婦さんになっているし、何人も担当は変わります。

 

私の記憶もはっきりしていないときの出来事・・・。

 

会えるのだろうか?

 

自分は、その看護婦さんを思い出せるのでしょうか?

 

改めてまとめると、手術の計画表を見た感じ、たぶん、

7月6日の夕方に手術が終わり、その後『集中治療室』に入り、

7月7日(あっ今、気づきました💦七夕だったんだ(´;ω;`)ウッ…)の昼前に念願の病棟へ戻る。

 

7月7日、一晩中苦しんだということかな🙄

 

文に起こすと、色々自分の経過を知ることが出来て良いですね💞

 

意識が戻ると違う苦しみが押し寄せるのでした。

 

続きは、また書きます。

 

途切れ途切れですが、また、読みにきてくださいね💎

 

今日もありがとうございました。

 

        💖miyu姉でしたぁ💖