突然訪れた【父の死】。。。メンタルの誤作動の始まりか…( ノД`)シクシク…①
こんにちは ♫(≧▽≦)♫
今日は、車屋さんに行って納車日を決めたり、書類を確認したりしてきました。
そこの事務の可愛いカワ(・∀・)イイ!! 女の子が「何がよろしいですか?」と
ドリンクのメニューを見せてくれるのですが、
いつも私は『炭酸水で(*'▽')』とお願いしています。
そうしたら以前、二十歳の息子に『すかしてんじゃねーよ(笑)』と言われた(゚Д゚;)。
『なっ!なぜだーーーっ!!!』
(補足➡すかしてるとは、気取る・すます・めかしこむ事を意味してます。)
私は、ただ、炭酸水が、
『血行が促進され代謝アップするし、
炭酸が腸を刺激してくれてぜん動運動が活発になるのでお通じも良くなるよ~』
と聞いたことがあったので飲んでるだけなのにぃーーー☚(--〆))ノ!
…ちょっとした日常を書いてみました。 miyu姉です☆彡
まだ
お役に立てるような内容ではありませんが、徐々に本題に入っていきますので、
これからも『ひょっこりはん(古っ💦)』のように見に来てくれると幸せです💖
私が、32歳頃、父は体調を崩しており医者に通っていました。
検査なども一日がかりでしていたようでした。
そのとき父は74歳位だったと思います。
私は、思春期の頃でも、父と一緒に出掛けたりすることに抵抗なく仲良しでした。
(まぁ、ケンカみたいになると性格が似ているので大変でしたが。)
父がそのような状況であっても、
私は、小さな二人の子供を女でひとつで育てているために、
物凄く忙しい日々で、実家に顔を出してもゆっくりもできずにいました。
それでも実家から帰る時、私に自分の部屋からでしたが、必ず父は、
私の名前を呼び『ありがとうー!!!』と言ってくれてました。
何もしてあげることが出来ずに、すぐ帰る私に・・・。
いまだに、父親が大きな声で私を呼び『ありがとうー!!!』と言っていたその声は、耳に残っています。
とても新鮮に鮮明に・・・(●´ω`●)💗
そんな日々のなか、私は33歳になっていました。
ある日、父親が大事をとって、入院したと母から聞きました。
『お昼も看護婦さんから補助して頂きながら、
笑顔でご飯を食べていたし、家にいるより安心だから。。。』と。
一安心しました。
明日にでもお見舞いに行こうと思っていました。
父親が入院した日、私は役員の集まりで夕方から学校にいました。
スマホは、マナーモードにしていました。
教室を移動する時、スマホを確認しました。
すると・・・親戚のおばさんからの何十件もの着信履歴…
嫌な予感が脳裏を駆け抜けました。
すぐに、折り返し電話をかけました。
『みーちゃん。(私の事です)
(おばさんの凄い泣き声)お父さん、亡くなってしまった』と…。
今日入院して、お昼も笑顔で食べていたと聞いていた矢先の父親の死。。。
担任の先生にそのことを伝えた後、
大泣きしながら、暗い夜の学校の階段を駆け下り、
車の中で、私は、仙台の姉に用件だけ伝え、病院に向かったのです。
父親は、親戚に囲まれ、白い布を顔にかぶせて、病室で待っていてくれました。
布をおじさんがとってくれ、私は父の顔を両手で包み、大泣きしながら
『まだ、あったかいじゃん・・・。』
と言ったのを覚えています。
父親のひたいにkissをしました。後悔したくなかったので。
ずっと離れなかったら、親戚のおじさんに言われて・・・。離れました。
病院側は、死は日常の出来事であり、病室から早く移動させたいようで。
(させないといけないのかも知れないけど)
このときは医者を、
『糞野郎ども!!!なんで今日入院して今日死んだんだよ!』って憎みました。
『納得出来ないのなら司法解剖してもいいですよ』とか言うし。
バカにした顔で。
あたしらには医学の知識もないので、勝てる訳がないからなんでしょうね。
あの見下した偉そうな医者は。。。
(あくまで、その時の担当医のはなしです。素晴らしい先生たちがほとんどです。)
そのときのやり取りを見ていた、おじさんは目で訴えていました
❝お父さんをこれから解剖して病院と争うのはやめなさい❞と。
おじさんの顔をみてそれは、分かりました。
父親をゆっくりさせてあげようと母とおばさんに任せて、
私はまだ小さい子供二人を連れて、一度帰宅しました。
子どもの為にもしっかりしなくてはと思うのですが、入院してすぐだったために、
今何が起きているのかどうしたらいいのか、
父親にもっと時間を作れなかったのだろうか。
忙しいを理由に無視したりしたことを後悔したり・・・。
とめどなく涙があふれました。
すみません、この続きは、近いうちに更新するので、お待ちください
miyu姉より